Shiro Kuramata.

Transparency and Experimentation

Shiro Kuramata

倉俣史朗(1934–1991)は、家具およびインテリアデザインにおいて革新的かつ前衛的なアプローチで知られる、日本を代表するデザイナーです。第二次世界大戦下の東京に生まれた倉俣は、幼少期の体験から深い影響を受け、それが日本の伝統的美意識とモダニズム、さらにはポストモダニズムの理念を融合させる独自のデザイン哲学へと結実しました。

1976年に発表された《グラス・チェア》や、幻想的な《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》アームチェアといった代表作に見られるように、彼はガラスやアクリルといった素材を自在に操り、安定性や機能性に対する従来の概念を問い直す、透明感あふれる詩的なデザインを生み出しました。

倉俣史朗のデザイン哲学は、透明性と実験性を重視し、光と素材の相互作用を通じて、単なる機能性を超えた物語性を表現することにありました。彼は、優れたデザインとは誰にとっても開かれたものであり、その土地や文化的背景と共鳴するべきだと考えていました。素材そのものに語らせるこの姿勢は、オブジェと空間との関係性を再定義すると同時に、日本が世界的なクリエイティブデザインの先進国として認識される過程において、倉俣を重要な存在へと押し上げました。

彼の作品は、ファッションリテールをはじめとする多様な分野に大きな影響を与え、三宅一生など著名なデザイナーとのコラボレーションも行いました。

一方で、倉俣のデザインは、実用性よりも美的表現を優先する場合があるとして批判されることもあり、芸術的表現と機能的デザインのバランスをめぐる議論を呼んできました。この緊張関係こそが、デザインが表現芸術であると同時に実用的な存在でもあり得ることを示しており、彼の仕事の複雑さと奥行きを浮き彫りにしています。

倉俣史朗の遺産は、今なお新たな世代のデザイナーたちに影響を与え続けており、デザインプロセスにおいて感情的なつながりや文化的物語を統合することの重要性を強く訴えかけています。

Shiro Kuramata | WA Design Gallery

Early Life and Education

倉俣史朗は1934年、日本・東京に生まれました。彼の誕生は、第二次世界大戦とその後の連合国軍による占領という、激動の時代と重なっています。

幼少期に東京から疎開を経験したことは、倉俣の人生と創作に大きな影響を与え、後のデザイン哲学における「自由」への強い志向を育む要因となりました。

1953年、倉俣は東京工芸学校(ポリテクニック)を卒業し、建築を学んだ後、帝国器材(テイコクキザイ)に勤務して本格的なキャリアをスタートさせました。

その後まもなく、東京の桑沢デザイン研究所に入学し、椅子の研究を含む、西洋的なインテリアデザインの概念に触れます。当時の日本の住居空間が畳敷きと床座を中心としていたことを考えると、これは非常に先進的な学びでした。

こうした教育と初期の経験は、形態と機能の関係を再定義し、日本の伝統美とモダニズム、ポストモダニズムの思想を融合させる、倉俣史朗ならではの革新的なデザインアプローチの基盤となりました。

Career

倉俣史朗(1934–1991)は、20世紀日本のデザイン界において極めて重要な存在であり、家具およびインテリアデザインにおける革新的なアプローチで高く評価されています。東京に生まれ、成長期の中でデザインへの関心を深め、1953年に木工を学んだ工業高等学校(ポリテクニック)を卒業しました。

倉俣のキャリアは家具メーカーへの就職から始まり、その後、東京のデザイン教育機関に進学し、西洋的なインテリアデザインの概念に触れます。日本の伝統的なものづくりの精神と、近代的な西洋デザインの影響を融合させたこの経験は、彼の後の創作活動を特徴づける重要な要素となりました。

キャリアを通じて、倉俣は家具、展覧会デザイン、商業空間のインテリアなど、多岐にわたる分野で作品を手がけました。《ピラミッド・ファニチャー》(1968年)、《ランプ〈オバQ〉》(1972年)、《グラス・チェア》(1976年)といった代表作は、形態と素材への彼の強い探究心を示しています。

また、1987年に青山でオープンした「ISSEY MIYAKE MEN」ショップをはじめ、ファッションリテール分野においても重要な貢献を果たしました。

倉俣史朗のデザイン哲学は、透明性と実験性を重視し、光と素材の相互作用を探ることにありました。彼は、インテリアデザインは常に変化し続けるものであると考え、その多くが原形のまま残らないことを自覚したうえで、写真による記録を積極的に行っていました。この姿勢は、空間デザインの儚さと同時代性を深く理解していたことを示しています。

三宅一生をはじめとする影響力のあるデザイナーやアーティストとの協働は、倉俣史朗を日本のデザイン界における重要な存在として確固たるものにし、日本が創造性と革新性において世界的な地位を築く過程にも大きく寄与しました。

また、デザイン活動にとどまらず、倉俣は自身の思想やプロジェクトを記録した書籍を多数出版し、日本の文化的文脈の中でデザインへの理解を深める役割を果たしました。その遺産は現在もなお次世代のデザイナーたちに影響を与え続けており、デザインを社会の文化的・教育的基盤に統合することの重要性を改めて示しています。

EXPOSITION en COURS » Number 1 / ISSEY MIYAKE : A wardrobe revolution for  contemporary fashion

Design Philosophy

倉俣史朗のデザイン哲学は、素材そのものの探究と、それらが語り得る物語に深く根ざしています。彼は、優れたデザインとは単なる機能性を超え、物語を内包し、文化的遺産を映し出すと同時に、ものづくりを未来へと導くものであると考えていました。

倉俣の作品には、ガラスやアクリルといった透明素材が多用され、物体が空中に浮遊しているかのような幻想的な質感を生み出しています。これにより、支持や構造に対する従来の概念が根本から問い直されました。

こうした素材の革新的な使用は、単なる美的選択にとどまらず、デザインそのものの本質に対する哲学的な表明でもありました。倉俣が重視した「透明性」は、デザインは誰にでも開かれ、共鳴するものであるべきだという信念を示しています。彼は、透明素材は特定の場所に属するものではなく、遍在する存在であり、日常生活における物と体験の相互連関を象徴するものであると捉えていました。

倉俣史朗の素材探究は、その物性を実験的に扱おうとする強い意志に貫かれており、工業的な要素と詩的感性を融合させることで特徴づけられています。このアプローチによって、彼は形態や製作における新たな可能性を切り拓き、後続の世代のデザイナーたちに、素材実験を創作の中核とする姿勢を促しました。

《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》アームチェアのような代表作は、スチールメッシュといった工業素材を用いながら、遊び心と洗練を併せ持つデザインによって、素材が孕む矛盾性への彼の関心を鮮やかに示しています。

とりわけアクリルの使用は、彼の後期作品を象徴する特徴となり、その透明性は対象物そのものを際立たせるだけでなく、オブジェと周囲の空間との関係性について観る者に新たな視点を投げかけています。

倉俣史朗は、そのデザインを通じて、人々の認識に問いを投げかけ、日常的なオブジェの中に宿る芸術性への深い理解を促そうとしました。その試みは、日本のデザインの風景そのものを再構築することにつながりました。

要するに、倉俣のデザイン哲学は、素材を通じた物語性への強いコミットメント、簡潔さの中に美を見出す姿勢、そしてデザインの過去・現在・未来を結びつけようとする意志を体現しています。

The Work of Shiro KURAMATA | IGARASHI DESIGN STUDIO

Major Works

倉俣史朗の作品群は、素材と形態に対する革新的なアプローチによって特徴づけられており、洗練と楽観性が融合したデザインを体現しています。彼の作品には、透明性、軽やかさ、そして工業素材を遊び心をもって用いる姿勢が一貫して見られます。

1976年に発表された《グラス・チェア》は、20世紀を代表する最も影響力のある家具デザインのひとつとして広く評価されています。複数のガラス板を組み合わせて構成されたこの象徴的な椅子は、家具における安定性や機能性に対する従来の認識を覆す、視覚的に強烈なフォルムを生み出しており、倉俣の独創性を端的に示しています。

もう一つの重要な作品である《トワイライト・タイム》(1985年)は、段状のエッジをもつガラス天板を、エキスパンドメタル製の円錐形の脚3本で支えるテーブルです。その壊れやすそうな佇まいを強調する繊細なバランスは、構造的な堅牢さよりも空間的な造形性を重視する倉俣の探究をさらに推し進めるものとなっています。

また、《ファニチャー・ウィズ・ドロワーズ》(1967年)に代表される初期作品では、椅子の本体周囲に引き出しを巧みに組み込むことで、機能性と美学を見事に融合させる手腕が示されています。これは、日常的な家具に新たな価値と物語性を与えようとした倉俣の姿勢を象徴する作品と言えるでしょう。

さらに、《ピラミッド・ファニチャー》(1968年)は透明なアクリル板によって構成され、《チェックド・ドロワーズ #1》(1975年)は黒漆による市松模様の仕上げが施された作品であり、いずれも視覚的魅力と触覚的質感の両方を備えた素材に対する倉俣の嗜好を鮮明に示しています。

彼の創作にはしばしばユーモアと遊び心が込められており、《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》に見られるように、椅子という形式そのものに対する哲学的な問いかけが表現されています。アクリル、ガラス、アルミニウム、スチールメッシュといった新しい技術や素材を積極的に取り入れることで、倉俣はデザインの限界を押し広げ、軽やかで視覚的に魅惑的なオブジェを生み出しました。これらの作品は、今日に至るまで国際的なデザインの言説に持続的な影響を与え続けています。

SHIRO KURAMATA AND ETTORE SOTTSASS – Friedman Benda

Awards and Recognition

革新的かつ前衛的なデザインで知られる倉俣史朗は、そのキャリアを通じて数多くの栄誉を受け、デザイン界における確固たる地位を築きました。日本デザイン委員会からの顕彰をはじめ、国内外でさまざまな国際的賞を受賞し、その影響力が日本にとどまらず世界に及んでいたことを示しています。

1990年、逝去の直前には、芸術分野への顕著な貢献が認められ、パリにてフランス政府より芸術文化勲章シュヴァリエ(Ordre des Arts et des Lettres)を授与されました。この叙勲は、彼の国際的評価の高さを象徴する出来事でした。

現在もその作品は、パリの装飾美術館(Musée des Arts Décoratifs)やニューヨーク近代美術館(MoMA)など、世界有数の美術館に収蔵・常設展示されており、倉俣の創作が時代を超えて評価され続けていることを物語っています。

とりわけガラスやアクリルといった素材を用いた芸術的革新は、同時代のデザイナーや批評家から高く評価されました。1988年に制作された《ミス・ブランシュ》は、シュルレアリスム的家具の代表作として知られ、オークションにおいても高い評価と落札価格を記録し、彼の作品が現代デザインに与えた持続的な影響を明確に示しています。

倉俣史朗への評価は、受賞歴にとどまるものではありません。現在もなお各地で開催される展覧会を通じて、その創造的遺産は再評価され続けており、デザイン分野における彼の貢献の重要性を改めて強く印象づけています。

Redéfinir le Japon : Shiro Kuramata pour Memphis Milano | Magazine Barnebys

Legacy

倉俣史朗のレガシーは、日本のデザイン界に与えた多大な影響と、その作品を通じて文化や時代の枠を超越した表現力に特徴づけられます。《リボルビング・キャビネット》(1970年)や《グラス・チェア》(1976年)といった代表作は、独自の美的ヴィジョンのみならず、素材と空間に対する深い理解を体現しており、それは戦争を経験した幼少期の記憶によって形づくられたものでもあります。

倉俣の作品は、戦後日本デザイン史における重要な一章を成し、逆境の中からいかにして創造性が生まれるかを雄弁に物語っています。彼の功績を称えるため、これまでに数多くの回顧展や企画展が開催され、新たな世代のデザイナーに対して、その革新的なアプローチが紹介されてきました。これらの展覧会は、デザインにおける「夢」や「感情的なつながり」の重要性を強調し、現代の観客に対して、今日の文脈におけるデザインの意味を改めて問い直す契機を与えています。

倉俣は、エットレ・ソットサスをはじめとする影響力のあるデザイナーたちとの協働を通じて、世代を超えて共有されるデザインのヴィジョンを体現し、デザイン界における自身の影響力をさらに明確なものとしました。倉俣の作品を保存することの重要性は、単なるアーカイブ作業にとどまらず、日本のデザイン遺産とのつながりを未来へと継承するという文化的使命そのものを意味しています。

「ジャパン・デザイン・アーカイブ・サーベイ」のような取り組みは、業界を形づくってきたデザイナーたちの思想や物語を記録・共有する役割を担い、次世代がそのレガシーから学ぶための貴重な基盤を築いています。

デザインの領域が進化を続けるなかで、倉俣史朗の影響力は今なお新たな実践者たちにとって指針であり続けています。それは、デザインが単なる機能的行為ではなく、人間の経験と創造性が織りなす豊かな表現であることを改めて示しているのです


Reception and Critique

倉俣史朗の作品は、その芸術的革新性と独創的なデザインアプローチによって広く称賛されてきましたが、一方で批評の対象ともなってきました。多くの支持者は、機能性と前衛的な美学を融合させる彼の手法を高く評価しており、それは現代のデザイナーたちに新たな素材や形態への実験を促す大きな影響を与えています。

《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》チェアや《東京》テーブルといった代表作は、空間と光の探求を体現する作品としてしばしば言及され、記憶こそが「無限の宇宙」であるという倉俣の思想を象徴的に表現しています。

一方で、一部の批評家は倉俣の作品の限界にも言及しており、その視覚的な魅力の高さに比して、使用される文脈によっては実用性に欠ける場合があると指摘しています

芸術的表現と機能的デザインとの間に存在するこの二項対立は、デザイン分野における美学の役割についての議論を喚起し、創造的表現がいかに歴史的文脈の影響を受けて形成されるのかをより深く探求する契機となっています。

さらに、倉俣史朗のレガシーを保存することの重要性は、日本のデザイン史における重要な課題として、近年ますます認識されるようになっています。戦後日本のデザインを形づくってきた多くのデザイナーが世を去るなかで、その思想や実践、作品を記録・アーカイブ化することは急務となっています。

「ジャパン・デザイン・アーカイブ・サーベイ」のような取り組みは、こうした要素を体系的に収集・記録することを目的としており、将来の世代が倉俣史朗のデザインにおける文化的・歴史的意義を正しく理解するための基盤を築いています。

熊本 インテリアデザイン事務所